私の志について
 ① 天国にいる祖父母の記憶 わたしのルーツ
  
 はじめまして、わたしは富田林市の須賀町で昭和43年に生まれ育ち数えで50歳です。わたしが小学校に入った頃、近畿日本鉄道に勤務する祖父は自宅の前の南海電車の踏切の前の線路道にゴミ箱を手作りで作り設置していました。数か所に設置したゴミ箱にゴミがたまれば毎回取り除きに廻る姿が遠い記憶にあります。何故、家じゃない場所なのに一生懸命ゴミを集めるのだろう。と子ども心思ったものでした。そのあとの祖父の記憶は自宅で虫の息になり静かに亡くなった姿と自宅で行った告別式がとても盛大だった記憶だけでした。
 わたしを自分の子どものように可愛がり育てた祖母はいつも自分のことより私や家族のことを心配し、子どもや家族に精一杯の愛情を注ぐ人でした。祖母は50歳で当時フランチャイズ店で有名だった「タカラブネ」というケーキ屋を開き、まちの人にいつも利用して頂きました。売れ残ったケーキを食べさせられて私はケーキが嫌いでした。祖母は人が好きだったので地域の婦人会でいつも活動をしていました。子供会にはじまり町会や地蔵盆の集まり、「だんじり祭り」の時は町会や婦人会の仲間同志でお料理を作り、家庭と地域の境目がわからなくなるくらいいつも家には近所の人が遊びに来ていて祖母のまわりはカラオケや踊りが好きな人も集まりいつも明るい空気が流れていました。
今思えば何も考えずに日々成長できたのも家族に守られていたのだと思いますが、私自身は家族以外の近所のおばちゃんやおっちゃんにも育てられて成長できたのだと改めて感謝します。いたずらばっかりしていた私を見守ってくれたのも地域の皆さんです。

この記事はわたしという人間を知って頂くために書き留める記事です。よろしくお願いいたします。

祖母とお参りした七五三だったのでしょうか もう記憶にありませんが錦織さん 氏神さんです。

つづく